人生”レベル上げ”という生き方~アリボーの冒険~

人生好きなモノや人やコトを大事にしながら人生のレベル上げをコツコツとやっているのさ

あの顔を忘れない~右の頬を打たれたなら、左の頬をも向けなさい~

今朝、Facebookを見ていたら泣いてしまった。

 http://labelmap.hatenablog.com/entry/2016/10/05/130000

↑是非、皆さんにも見て欲しい。

読みながら20代のある日の出来事を思い出した。

精神疾患を抱える叔母を殴ったことを・・・。

二度と人を殴ることはしないと心に誓う。

 

家庭では注意は言葉もあったが暴力も日常茶飯事だった。兄が5人いたことで喧嘩も絶えず、言葉で勝てない分手が先に出ることなんて普通だった。家の窓ガラスを割られたり、喧嘩をして骨折する兄がいたり酷い環境だった。兄弟のことを死んでしまえば良いと何度思ったか分からない。それなのに、自分も手を出すことが平気になっていた。妹の髪の毛を掴んでひきずりまわすことさえしていた。今では考えられないけれど。

【叔母としての存在を忘れていた・・】

一緒に住んでいた叔母は、私にちょっかいを出すのが何故か好きだった。社会人になってから、カバンから物がなくなったり、布団をとられたり足をつねられたりと睡眠不足。ある日会社の制服をハサミで切られた。そんなことがあるのか?と上司に驚かれながら、再度注文依頼をしたことにもウンザリしていた。早く1人で生活をしたくて、そればかりの毎日だった。

 

ある日掃除をしているのに、その周りを平気で汚していく叔母。悪気がないことは分かっている。それなのに、実は頭が良くてワザとやっているのでは?とさえ疑うぐらい。こんなに親族に日常をかき乱されるなんて不幸だと思い、イライラはマックスになっていた。そんなのは言い訳に過ぎないのだけれど・・・

【忘れたいけど忘れられない・・あの顔】

 掃除をしていた。それなのに、すぐ汚される。イライラをおさえながら叔母に何度も注意をした。効果はなく。そうだ!と思った私は「今度やったら殴るよ」と叔母に宣言したのだ。殴る気なんてなかった。脅しになればよいと思っていたのだ。脅しは効果的だと思っていたから。だから、それを言ったら邪魔はされないと思っていた。だから、安心しきっていた。それなのに・・邪魔をされた。

 

「バシッ」と迷いもなく頬だったか、頭だったかを殴った。瞬間的に手が出た。

その時の叔母の顔はこの男性と同じ表情だった。

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複雑な悲しい顔。 そんな顔を見てショックを受けた。「今度やったら殴るって言ったでしょ。ごめん。ごめんなさい」といいながら泣いて謝った。殴っといて苦しくなって、こんなのは何の解決でもない。ただの暴力だ。どうしてこんなことをしたかを悔やんだ。殴った事実は変わることはないのに、何度も叔母に謝った。そんな叔母はしばらく私に近づかなくなった。

 

叔母を叔母として見れなくなっていたけれど、子供を8人連れて離婚した母は昼も夜も働いていた。その時期は、祖母や叔母が元気だったので生活を見てもらっていた。叔母のことを育ての親だというぐらいの家族もいるぐらいだ。そんなことを忘れていた私。自分が余裕がないばかりに、叔母を殴ってしまった最低な私。今朝のFacebookの投稿からそれを思い出さずにはいられなかった。

 

暴力が頻繁にあった環境だったら、殴ったのは仕方ない。そんな環境を理由に殴ったことをなかったことにはしたくない。自分ではない、環境や、他人や、親の責任にするのは簡単だ。自責で成長していきたいと今は思う。そして、もうあんな苦しい出来事は絶対に嫌だ。子供が出来たら殴ってしまわないか不安もある。愛がある暴力なら良いなんて言わない。それほど忘れられない出来事。

 

いずれ親も歳をとるけれど、私も歳をとる。

その時に殴られても仕方がないと思う覚悟をしておこう。

私もそんなことがあったから・・・。

 

暴力は嫌い。でもね、殴る人も苦しんでいる事実もある。 

そこも知って欲しい。そしてそんな自分をユルスシマス