ボランティアを継続していることと権力への誤解
私はボランティアしているんだから配慮してよっ!
清掃をしている私に声をかけたおばちゃんがいた。
オープン1時間前のお店に間違って到着したらしい。
コックに料理の手配ができるか?と確認するが、
オープン前だから断るように指示がきた。その旨を
伝えた時に赤字の言葉を投げかけられた時にショックを
受けた。さっきまで笑顔だったおばちゃんの顔が、
権力をかざしまくる政治家や社長などのイメージと
重なってしまったのだ。彼女も最初はそうじゃなかったのかも。
怒って帰っていくその背中を見ながら思った・・・
【ボランティア=偉いとは繋がらない】
ボランティアしていることを他人が偉いと思うことは
いいかもしれない。でも当人が思うことは違うのではないか?
そんな経験だった。周りの人がはやしたてるのかもしれないね。
ボランティア活動は愛が伴っているはず(無償の奉仕)
ヘレンケラーやマザーテレサや偉人とも繋がる。
彼女らはえらぶらなかったはず。そんな人が偉人になるのか?
全く違う話だが、社長さんとの接客でも偉そうにしている方と
腰の低い方と両極端だとよく思っていた。その所属している部分では
役職があって偉いかもしれない。でも私にとってはただのオジサンだ。
横柄な人としかうつらなければ、私がヘコヘコする義務はない(笑)
でもこの経験は”初心忘れるべからず””他人のふりみてわがふり直せ”
”謙虚さ”などを教訓とさせてくれる。学びの1つ。
ボランティアに熱を注ぎ込んで、自宅のことを何もできていない
人もいた。現実から逃げる行為のためにという人もいるのだ。
【ボランティアは出来る人が、したい人がすれば良い】
結論はそうなのだ。無理している人からボランティアを
受けたいだろうか?家に帰ったら家族が悲しい顔をしていて
外の人を助けることに精を出すなんてナンセンス。
母は「まず自分のことが出来てから他人のことをしなさい!」と
よく言った。それはきっと母の教訓だったに違いない。
ボランティアを義務にならないで楽しんでできる余裕。
それは大事な要素。