自己否定や自信喪失の裏側には”対等”ってことを忘れてる
見た目・役職・給料など比べようと思えばいくらでもできる。
だから、同じ人間である(同等)ってことに気づけなかった。
- 私なんかの変わりなんていくらでもいる
- 私はなんて何もできない人間なんだろう
- なんで同じ人間なのにこんなにも違うのだろう
- 自分に価値なんて何もない
ネガティブパーソン全開の私がよく思っていたこと(笑)
表面上は明るく取り繕っていましたが心はどっぷり
真っ黒くろすけでした(なんか違うか・・ごめん)
だからポジティブパーソンといるのは疲れた。
一緒にいればいるほど自分が嫌になっていくのだもん・・
【反論してはいけないという思い込み】
例えば両親・先生・上司・先輩とかは自分より偉いもの
という考えが根深くあった。自分より偉い人に意見すること
事態が怖かったし、敬うべきものであると思っていた。
- これはおかしい
- この方がよくないかな?
そんなことを思うことはあっても、私なんかが意見を言った
ところで印象を悪くするだけ。結局のところ私は偉いと
思っている人に嫌われたくなかっただけなんだよね(笑)
嫌われるのが怖かった単なるビビりでしたΣ( ̄ε ̄;|||・・・
そんな私だったからコーチングでもよく出てくる言葉
「コーチとクライアントは常に対等である」には
少し違和感を感じた。私の中では・・↓↓
クライアント=相談者/コーチ=解決者
このように捉えていて、コーチが上の認識だったから。
ほんと何様なんだよ(笑)対等だからこそ、一緒に
何か行動していこうというエネルギーに変えたりできる。
パワーバランスが同じだからベストな方法を模索できる。
解決するのは本人なのに・・・コーチングを習った頃は
コーチとして解決できないことで苦しんでいました。
依存型なコーチングに無意識に走ろうとしていた。
でも依存型のサポートじゃダメなんです。自立できない。
自己を確立するためにも、上司・恩師・両親のことを
自分より偉いとか価値があるなんて思う必要はない。
だって同じ人間だもの。感謝の気持ちを私は従うことだと
勘違い(思い込み)していただけだった。
まだまだビビりでたまに自信がなくなることもあるけど、
対等なんだよなって前より思えるから楽に生きているよ♫