環境の責任という理由を作るのか、模索するのかの違い
大人ってなんだろう?
お酒のめること?
タバコがすえること?
ブラックコーヒーを飲むこと?
まず上記はやろうと思えばできることね。
色々問題はあるけどさ(笑)
先日県外に行っていた従姉妹が帰ってきた。
もう帰ってこないだろうと半ばあきらめていた。
ところが彼女のキーパーソンが一声をかけたら
帰ることを決めたらしい。そんな人が彼女にいて
良かったと心の底から思った。ありがたい。
【まともな大人がいないのによく育ったよね?】
母の妹二人(叔母)家族との共同生活。子供連れでの
離婚をして実家に住んでいた母が呼び寄せて一緒に
すんでいた。一番多い頃には、20名近くいたので
喧嘩も絶えない。殴り合い、髪の毛のひっぱりあい。
家中の窓ガラスが全部割る兄を見て自分も死ぬと
思ったり(笑)笑えないか・・・。複数の仕事を
していた母は、ほとんど家にいなかった。叔母さんたちは
今でいうところの大人の発達障害を持っていて
自分のことでやっとの人たち。調子が良い時には
家事も率先してやったけど、うちにはまともな環境は
難しかった。勉強のことだって、通信簿を見るのが
やっとでフォローしてもらったことないし。そんな
環境を責めてばかりいる親族もいれば、自分なりに
行動した親族もいる。同じように育ってきたようで
個人個人で学んだもの感じたものは違う。
【一緒にされることが嫌で嫌でたまらなかった】
地元が好きじゃない理由がある。今はその気持ちも
薄れてきているけどね。例えば知らない人に聞かれる
「あんたどこの子ね?」と、「〇〇の子です」と答えたら
嫌な顔を何度されたかわからない。子供でもそんなことは
気づくものだ。さっきまで一緒に遊んでいた子に
「〇〇の子とは遊ばないでといわれたから帰ろうね」と
直接言われたこともある。私は、〇〇の子ではあるけど、
亜利佐という一人の人間なのに。そこはもう見てもらえない。
そんな傷を平気な顔をして周りの大人はしてきた。
私は誰も傷つけたわけじゃないのに切り捨てごめんと
言われもせずギタギタに傷をつけられた。どうやって
自分を好きになれただろう?今ならそう思える。
傷をつけたつもりもないあのオバァ達はもういないしw
環境を変えると良い
一緒にいる人を変えると良い
自分の考え方を変えると良い
今と同じじゃないよう模索すること。
そうやって私の人生は楽しくなったよ。