人生”レベル上げ”という生き方~アリボーの冒険~

人生好きなモノや人やコトを大事にしながら人生のレベル上げをコツコツとやっているのさ

抹茶とドラゴンボールのピッコロを連想した朝だったんだ・・・・

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あれもしたい、これもしたい。やらなきゃいけない、やりたくないけどやるしかない事など毎日の行動って自分が自分に質問をして、自分が選択しての連鎖で時間が過ぎていく。もちろん、相手に委ねる場合もあるけれど・・・。日々のやることリストをフセンや直接手帳などにメモ書きして、文字にすることでアウトプットすることは「見える化(視覚化)」として脳への刺激など効果があると色々な文献で言われている。がしかし、書き出したことで満足してしまって行動に移せないことも実際は多い(笑)

できっこないことをやるチャレンジも大切だと思うけれど、できることを確実にやっていくこと。小さなやりたいこと、ほしいものを確実に実行するほうが大きな挑戦や変化への行動力が増すのでおススメ。

 【小さな積み重ねが大きな実行のジャンプ台になる】

  •  ナビを使わないで目的地まで行ってみる
  • 初めてのヘアーサロンに行ってみる
  • ハンドルキーパーを名乗り出る
  • おごってもらう/おごってあげる
  • 子供にお母さんスゴイ/カワイイ/最高など言ってもらう
  • 理想のタイムスケジュール通りに1日過ごしてみる
  • 通勤場所まで歩いてみる
  • 頼みごとをことわってみる/依頼してみる
  • その日欲しい物、食べたいものを実際に買う食べる
  • やりたいことリストのトップ5の日付を決める

思いつきでもOKOK!やろうと思えばいつでもできるけど、やっていなかったことのほうが実行にはうつしやすい。「何をするか」も大切なんだけど、それは実行の数が増えれば自然と研ぎ澄まされていく。クライアントが自ら実行できるファーストステップを決めることがコーチングの流れの1つでもあるし実際に行動してみたらどう感じたか。そんな行動をしていくと大事なものや不要なものも取捨選択できるようになる。

【私の場合】

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抹茶は苦手だけど『ごろっとグラノーラ』の食感が好き。好きな食感が上回って、身体に良いとススメられる抹茶の克服なるのでは?と期待した。だからこそ200g<500gを買った。袋から中味を皿に移しかえてからの独り言である。

 苦手克服になるかの作業がスタート

『やべぇ想像よりも緑が多い』

↓牛乳をかけてみる

『ピッコロよりは薄い緑色の液になったな』

↓一口食する

『完全なる抹茶だ』

↓食をすすめていく

『もぉダメだ。青汁グラノーラを食べているようだ・・』

☆ 克服ならず☆

どんどん緑色になっていく牛乳を見て余計に食べる気がせず、牛乳を捨てて最終中味を食べることで完食した(笑)

 

こんなしょーもないことでも、気になっていた抹茶克服TRYをしてみて抹茶とは適度な距離感をもってお付き合いしようと思ったのよね。うん、だから買ったこと、食べたことは意味があった。そしてこのグラノーラは私の周りにいる抹茶好き女の誰かにプレゼントするというサプライズもできる。抹茶を克服できることがゴールではなくて、苦手なものに再度挑戦してみたらどうだったかの結果を知ることが目的。もうしばらくは抹茶を食べてみようという好奇心は消えて、別の好奇心へと変わっていく。そして苦手なものへ挑戦した自分、新しいことへ挑戦した自分に自信さえついちゃう。朝から楽しい時間を過ごせたのは嘘ではない。

 

髪を切る場合も、いつもと同じ髪型は安定だけど、変化は感じれない。最近行った美容室で「やってみないと分からないことはやってみたらイイ。昔はショートが似合わないと思っていた人が、今の年代なら似合うとか。やっぱり似合わないとかは、切ってみないと美容師だって分からないこともある。でも結果があるから次へいかせる。」と言われた時も納得した。結果のイメージも出来ることは出来るけど、行動したからこそわかることは大きい。そして行動の結果もどう感じたのか、どうすればもっとうまくいったのか、次へいかせることは何か?些細なことから、日々を楽しく過ごせるヒントは沢山あることに気づいて欲しい。

頭で考えるのがダメで、行動だけすれば良いということでもない!って私なりに表現するのが難しいと思ってネット検索していたら初めて知ったことがあったので共有。

 百聞は一見にしかず
(いくら人から聞いても、自分で見なければ本当のことは分からない)
百見は一考にしかず
(いくらたくさん見ても、自分で考えなけれは意味がない)
百考は一行にしかず
(どんなに考えても、「行動」を起こさなければ前には進まない)
百行は一果にしかず
(どんなに行動をするだけでなく、成果を出してこそ意義がある)

 最後の「一果」については、何を持って「成果」とするのかは他人からの評価で踊らされるのではなく、自分で自分を評価する俯瞰の目も忘れないでほしい。