自分の想いが言えるようになるまでの過程②<受け入れと理解>
結論は、結局のところ伝えてみないと分からない!
言い方や、返ってきた言葉に対する反応とか、
伝える(経験)から分かったという話なんだよねw
【意見を言う=怒りor責めるというイメージ】
意見を言われた時に、あなたはどう感じる?私はショックを受けるか、
怒りを感じることがしばしばだった。店長になったばかりの頃、副店長と
相談して率直な意見を聞いたうえで今後のお店の運営を考えようと決めた。
全体ミーティングではなく書面でアンケートをもらうことにしたのだ。
もちろん良い声も、その良い声のなかに数個しかないマイナス意見を見て
私は泣いた。そして誰を信用しようか迷うようになった経験がある。
- えっ?そんなこと思っていたの?
- なんでそんなこと言われなきゃいけないの?
- 自分のことしか考えてない人だ
- 私だって言いたいことはあるんだよ
- 自分に振り返ったらどうなの?
- ただの悪口じゃん
- 自分はダメ人間だと全否定された気持ち
アンケートなんかやらなきゃよかったとさえ思ったw
だから自分が意見を言うときにも”傷つけるのではないか?”
”言いたいことをきちんと伝えられるのか?”そればかりが不安に
なって意見を言うことや、もらうことの対応がうまくできなかった。
【個人全体を責めているのではなくて一部という感覚】
研修制度が充実していたおかげで苦情研修をうけたことがある。
その時にお客様からの意見で心を病む人がいるけれど、
人間性を全否定されていると思い込むことが原因だと言われた。
お客様が話す意見は、会社に対する意見だという”分け方”が
大事だと言われたときにアンケートのことを思い出した。
店長や副店長としての、あるべき姿は〇〇〇だということを
スタッフはあくまで言っただけ。それを知ったうえでの
行動や発言を私たちは心がけるだけだった。考えたら↓
"a piece of cake=ケーキ一切れ、楽勝、朝飯前”なことねw
目の前の意見を全体として見すぎていたと気づけた瞬間。
そこからアンケートに対する分解(解決策)を考えられる
ようになった。受け入れ方ができたので、あとは意見や
想いを伝えることの捉え方についてどうしよう?と考える
ようになっていくわけで・・・・。
【受動的ではなくて主体的&在り方の問題】
自分の意見を言ったところで解決してくれないという気持ちは
簡単にはなくならなかった。それが”感情に流されない伝え方”、
”自分が変われば、相手は変わる”という考え方を知っていく
うちに気持を伝えることも以前より楽になった。あとは、
解決してもらおうという受動的だったことに気づいた。
いつだって、相手にどうにかしてもらいたいことしか考えて
いなかった(主体性0の思考)。
”どう在りたいか?”というのは、自分が理想とする関係性
だったり、仕事の流れだったり、それを自分の思う通りに
コントロールするのではない。意見をいう時に確認して欲しい。
その意見、相手をコントロールしようという気持ち隠れてませんか?
私は何度もあった(笑)理想とする”在り方”、そこに近づけるために、
相手ではなくて自分は何ができるのか?
そこを考えたら自分の行動が変わったり、相手への伝え方も
変わっていった。相手を変えようというエネルギーを自分に
向けたという単純なこと。
【確認をしたうえで、感情も伝えることは大切】
会話で傷ついたり、悲しかったりした時は、伝えるように
なるべくしている。ただそこには、一呼吸おいて「確認すること」を
忘れない。〇〇っていうのは、こんな意味?という風に。確認した
うえで、傷ついたのであればそれは伝える。「今の言葉は傷ついた」
「今の言葉は悲しかった」など。確認した時に相手は全然違う意図で
言っていたことが知れたら、なんということはないから。
まぁ、言われても自分がそう思っていなければ聞こえないという
荒業もできるようになってきた。これはあくまで私のストーリー。
それでも誰かの役に立てれば嬉しい。