沖縄のオバァは長生きだった。今は他県が長寿県ですからね~。
健康寿命かぁ~色々考えちゃうお年頃だわ。
実家のオバァが大好きだった。
今思うと家族の優しさが認知症を加速させただろうコト・・
- 家事を家族がフォローするようになった
- 孫も大きくなって手がかからなくなったこと
- 何もさせてない時間が増えたこと(趣味がない)
今まで働きづめだった祖母を休ませてあげたかっただけ。
そんな優しさが認知を進めたような気がするのだ。
大事にしていただけだったのに、オバァへの恩返しのつもりが仇となった。
いくつになっても時間を上手に楽しめる自分でいようと強く思う。
誰かと一緒じゃなくても楽しみ方を見いだせとかなきゃ。
だって周りの友人が居なくなったから何もできないなんて言い訳
できないでしょ?寂しさはあると思うけどさ。
ナーベラー(ヘチマ)のようになったお乳を振り振りさせて踊る。
祖母はユーモア―のセンスがあった。あ~懐かしい。
あの世で会ったらまた見せて欲しい。あの世でオバァはいくつだろう?
たまにそんなことを思う(笑)
- ご飯食べたことを忘れる
- どこかへ出ようとする
- 暴言を吐くようになる
- 一緒に暮らしている家族をどんどん忘れていく
- 喋っている内容が聞き取れなかったり理解不能になる
- 身体が動かせなくなる
徐々に変わっていく祖母をみてきた。
変わりたくて変わったわけじゃない祖母がそこにいた。
玄関のカギをしめてもすぐにあけて出ていく徘徊も度々。
玄関先で大ゲンカして暴言吐かれてショックを受けたりした。
もちろん同時に祖母のフラストレーションは溜まっていたのだろう。
でも当時はさ、家で看るのが家族愛という概念。そういう時代だったな。
一時的には施設にも預けたりもしたが、結局は、実家で介護した。
そしてある日穏やかに亡くなった・・・・。
オバァは幸せだったかな~?今でも思い返すことがある。
オバァも母(周りの家族も)も幸せなことってなんだろう?
感情論だけでは介護はできないことを思い知らされた。
どっちの幸せも大切なこと。家族が犠牲になるのは当たり前じゃない。
オバァはラストまで私に教えてくれたような気がするんだ。