『九十歳。何がめでたい』をもう一度読みたくなった
今年94歳になるオバァと病院に行くことがある。
薬の数が少ないとデイケアの人からも褒められる。
そんなオバァでも痛みがないわけじゃないし
気になることもあるから月2回は通院している。
病院に行くことが目的になっている部分も否めないが
それでもオバァが安心するならそれでいいのだ。
佐藤愛子著の『九十歳。何がめでたい』を数年前に読んだ際も
毒舌なオババが存在して嬉しくなったものだ。
数名の医者が放った言葉・・・
「歳とっているからね、目がかすんだりするのはね普通。
目の手術もしたけどね、これ以上は良くならないよ。
この見え方に慣れていこうね。視力検査も問題ないよ」
ハッキリと見えていた目は今は少し雲がかっているらしい。
医者の言うとおり見えることは見えている。クリアじゃないだけ。
メガネに指紋がついているだけでイラッとするのに・・
毎日指紋がついているようなものじゃないか!
いずれ私も体験するのだな・・・。医者の話を聞いて思ったけど
『九十歳。何がめでたい』とタイトルがよみがえってきた。
ハズキルーペも売れているらしいじゃないのよ。
今普通にできていることが何かをツールを使ったり
出来ることの半分や見えるものが半分になるなんて・・・。
オバァに長生きしてねと口にしながら自分は長生きしたくないと
思う孫嫁なのである。それでも長生きした時のために一人で
できる趣味を作っておかねばとも思う。複雑だわw