自分の当たり前が誰かにとってはスペシャルな事実
勉強ができる環境が当たり前ではない。
テレビなどでも子供たちの貧困などを取り上げている。
それでも実際に勉強できている子供はどれぐらい
それを真剣に捉えているのだろうか・・・。
「俺、人がいっぱいいたら勉強に集中できない」
そう甥っ子が言った。まぁ、そうよね。
こんなガヤガヤしているところで勉強させてゴメン。
オバちゃんが悪かったよ(≡人≡;)スィマセン…
でもね、実のところ贅沢な言い訳で損だと思う。
いやね、ガヤガヤしていない場所で勉強するってさ
当たり前に言ってますけど違いますから~~
(*・д・)b゛チッチッチッ NoNoNo
騒音の中でも集中してできるヤツは強い
枕が変わると寝れないも理解はできるけど
どこでも寝れる人は生きていくには強いと思う
紙と鉛筆さえ買うことのできない子供達や
学校に行かせるよりも生活のために働いている子供がいる。
勉強できるチャンスをもっと大事に考えてもらいたい。
広い視点で物事をみて欲しいとオバちゃんは思うわけよ。
場所や環境を言い訳にするのは容易だってこと・・。
気持ちはわかるの。理解できないってことはない。
甥:「ガヤガヤした場所では集中できない」
オバちゃん:「だから何?集中するための努力しろ」
きっとこれじゃスパルタなんだけどさ・・。
どこでも勉強に集中できるスタイルを身に着ければいいだけ。
自分が思うような環境でじゃなきゃ勉強できないことを
当たり前だと思わないで欲しい。工夫してほしい。
生き抜くためには柔軟でいたほうがいい。
自分にとって当たり前のことが誰かにとっては当たり前じゃない
スペシャルなことだという可能性があることを知ってて欲しい。
今度会ったら甥に伝えよう。うん。そうしよう。