人生”レベル上げ”という生き方~アリボーの冒険~

人生好きなモノや人やコトを大事にしながら人生のレベル上げをコツコツとやっているのさ

誰にも言えなかった今年の振り返りをコーチに聴いてもらった

自分の話をしっかり聴いてもらえたのはいつですか?

話をしてよかったなと思えましたか?

2022年はあと1カ月残すところだけど私にとってはほんとに

波乱万丈な1年だったと思う。振り返る暇なんかない。

現実逃避は沢山したけど(笑)

コーチングを学んでいる知り合いと1時間ちょっとの時間。

自分の言葉に耳を傾けて、その方からの質問や意見がまたイイ。

言葉にうまくできないこともあって、でも諦めずに言葉にした。

そしてたまにホロリして・・・

・私こんなこと思ってたんだな。

・性格悪いな、ウケるな(笑)

・傷ついていたんだな

感情が沢山わいてきたよ('ω')ノ

 

1時間は普段ならあっというまにすぎるw(スマホの魔力)

でもこの満足度の違いはなんなのよ。勉強していた頃のワクワク感が復活。

自分だけの話を聴いてもらうって本当に日常でないんだよね。

だからこそ、月1回とか2週に1回だけ自分にフォーカスあててもらって

話を聴いてもらうとクリアになる。頭も心も。

そうだった、そうなんだよ。ふふふ。癒し感パネェ。

今夜はよく寝れそうだ。

孤立を無くしていくためのキッカケ作りのボードゲームを体験してきた

遊びながら学ぶ(気づく・キッカケ)は最強だと思ってます。

(※このゲームの開催をtoitoitoiさんが行ったわけではありません)

ボードゲームのなかでも重いゲームはほぼしない私です('ω')ノ

よく利用するお店が↑の店舗。地元に唯一あるのが非常にありがたい。

遊ぶ回数は結構減ったけれどボドゲ好きの認知度は上がっている。

ボードゲーム好きなら参加しませんか?」

そんな軽い感じで福祉の仕事をしている大学時の知人から声がかかった。

コミュニティコーピングという体験ゲーム!!

すぐさま申し込みをしていってまいりました♪

みんなで孤立をなくすってワードも気に入りました。

母が亡くなってからもっと色々な方とつながっていけば

よかったと心底思った。手探り状態で課題に向き合った現実。

ボードゲームでいかに体験できるのか期待が高まりました。

youtu.be

いわゆる協力ゲーム→みんなでコミュニケーションしながら

ゴールを目指そう的な感じですな。問題解決しながら進む。

グループにはなるのは基本初対面の皆様たち。

開発者の千葉さんが「仲間の強みなどいかしていきましょう」

その言葉最初はまだ実感していませんでした。

でも途中でゲームオーバーになった時にプレイヤーカードなどの

特性とかスキルとか偏っていたことに愕然!もっとうまくできたな。

そう体感することができて良かったです。

プレーヤーカードは”世話好きなおばちゃん”を速攻とりました( *´艸`)

どのキャラにするかも個性が出るよね♪

地域に住んでいる住民の悩みをどう解決するのか。

最初は簡単だと思ってましたが一筋縄ではいかなかった。

その悩みについてもそんなお年頃だよなぁと共感したり。

ボードゲームで協力しながら問題を解決すること。

地元とかでもさ、そんな関係性ができてたらいいよね。

今回初めてあった人同士だけど〇〇なら、△△さんが解決できるかも!

などの相談があって「じゃやってみるかな?」のやり取りも楽しかった。

今って本当につながりが希薄で隣の人が何者かさえも知らない。

孤立死が増えていて、自死も増えていて、超高齢化社会!?

お先真っ暗やん。不安ばかりに押しつぶされても解決しない。

そのために何ができるのか、どんな補助があるのか。

孤立というテーマはもっともっと本格化するよね・・。

comcop.jp

まだまだ新しいゲームでもっともっと広げたいそうです♬

ファシリテーターもちょいとワクワク♡

あと1回は体験したいから地元開催に持っていこうと思っているとこ。

何はともあれ学びってのは難しい話では興味がわかない。

だからこそ入り口を簡単にして興味がある人はさらに深めればイイ。

とても楽しい時間となりました(*'ω'*)

手助けをすることで自分に価値があると思っていた節がある

他者をあえて介入させることで自分の人生を救うことになる

助けを求められることがある。お願いごとをされることがよくある。

それはそれだけ自分に価値があると思っていた節がある。

そんなお助けごとをSNSに投稿したら友人からのコメントがあった。

「なんで他の家族がやらないの?」

彼女は私を心配していてくれたのだがその言葉にイラついた自分がいた。

”状況も何も知らないくせに、ほかにできる人がいれば頼っているわ!”

自分のことを否定されたように感じてしまった自分がいる。

彼女にはそんな気持ちは1mmもなかったのに(^▽^;)

得意な事務処理については、基本的に私が処理をする=実家の母のルール。

母からの電話は基本的にはいつもヘルプの依頼だった。

何故私が?と最初のころは思っていたのかもしれない。

それが数をこなすうちに違和感がなくなっていったのだ。

その手助けをすることで自分の時間を奪われることに慣れていた。

だから友達のコメントはただの苛立ちになったのだと思う。

慣れって怖いぜ、自分では気づきにくいぜw

自分は一生懸命やっているのを理解してもらえない悔しさだったかも。

何度かは都合がつかず他の家族に依頼したこともあった。

だが結局うまく処理ができずに・・私が尻拭いをした(二度手間)。

そんな経験から自分で解決したほうが早いとNoを言わなくなった。

「ありがとう。助かった。」なんて言葉も言われなくなるレベル。

ヘルプは私がするのが当たり前にしたのは私自身だった。

私は私自身のことを大切にすることを後回しにしていたのだ。

他の家族は自分のことを優先していたにも関わらず(笑)

そういう気付きを友達や旦那から教えてもらえて本当によかった。

私だけがやる必要はない。他に協力者を仰ぐ。有料でもいいのだ。

そんな工夫を今はやりながら自分の時間も確保している。

他者の介入は嫌だと言われても他にヘルプのしようがないのだ。

相手にも踏ん張ってもらうことが必要なのである。

それを今ならはっきり言える。

手助けをしてなくても私自身には価値がある。

簡単でシンプルなことだけど随分かかったもんだ(笑)

それでもイイ。私は前よりも生きやすくなっている。

確実に人生のレベルアップをしているのを実感する。

これからも継続あるのみ!!

ネガティブな感情に覆いつくされそうになったら何かに没頭しよう

タイプ的にいうとギャンブルはわりと好きなほうだ。

ただやらないのは兄達のおかげだ(身を亡ぼすってね。)

そんな私がBL漫画とツムツムで家賃が払えるほど課金した。

母の死から実家問題がより明確になった9月10月の2カ月間。

なにもかもにウンザリした!それなのに頭でグルグルと考えてしまう。

実家に行けばやることはあったから考えもストップするのだが・・・

自宅に帰ってゆっくりしている時が一番危ない(^▽^;)

だから何も考えずにできるを模索したらツムツムとBL漫画となった。

旦那との会話も基本せずに黙々と没頭した。眠くなるまで時間をつぶす。

ただそれだけ。でもそれで精神を保たせていたと思う。

人間は危うい生き物だと知っているのだ。私の周りには心を病んだ人も多い。

2カ月で使ったお金はもっと有益に使えたと思う。間違いない。

それでもお金と時間も使って真っ黒に染まりそうな心を守っていた。

私なりの防御だったのだと思う。旦那には鼻で笑われたけれど(笑)

11月に入る前ツムツムはアプリ削除。BL漫画も課金も封印中('ω')ノ

旦那がこのブログを読む確率は少ないがばれたら苦笑いすることにする。

お金の遣い方は自由だ。どこで遣うのか、遣いどころってあるんだよ。

他人にとっては「無駄遣い」と思われることでも当人にとっては

必要不可欠なことだったりもするのさ。今回の例がそれ。

ネガティブなことは要らないって思ってもやってくることがある。

そんなこと考えても意味ないからーって言われても考える人は考える。

だから心の防御の方法をいくつか持っていたらイイと思うのだ。

真っ黒な力はでかいからさ、友、家族、病院など助けてもらえるとこへ

素直に助けてもらっていいのだ。また歩き出せばいいから。

11月になって肩の荷が下りたというかネガティブ感情のパーセントは

大分減ったからご心配なく。真っ黒にならないようにお互い気をつけようぜ。

闇はすぐにやってくるものだから。没頭することがあってよかった。

救われた気持ちの11月の初めの気持ち。

 

法事で盛り上がってしまったのはすべて私の責任でございますw

かれこれ10年以上前になるけれど母と韓国旅行に行った。

テンション高めの母とスーツケースを買った記憶がある。

そのスーツケースには基本ボードゲームを入れている。

収納術の1つだといえばカッコつけられるだろうか(笑)

以前は月に1回は好きなボードゲーム屋さんに↓行っていた。

言葉を使うゲームや運に任せるゲームなどをしながら

気になる出来事から思考をそらせることができる。

爽快感みたいなものを感じるときもあるから不思議なものだ。

www.toitoitoigames.com

去年(2021年)の12月から疑似育児体験、母の体調悪化という環境の変化。

ダブルパンチの生活のなかでも数回だけお店に通った気がする。

その当時の苦しい状況をゲームをしながら笑ったりして癒されていた。

随分前に買ったものや新しく手に入れたものなどなど気に入ったものを

いくつか購入したらスーツケース一杯になったというわけだ(笑)

そんなボードゲームをまさか実家で使うとは予想していなかった。

長男兄が亡くなった時はボードゲームの存在を知らなかった。

次男兄が亡くなった時はちょうどはまっていた時期だった。

甥や姪が小さい&”Nintendo Switch”等も持っていなかったから

不安にかられながら私はスーツケースを持って行ったのだ。

ところが思いのほか盛り上がって両親まで加わってワイワイした。

笑い声が絶えないってのは法事には似合わない(;´・ω・)

家を訪ねた人は不謹慎だと思ったのかもしれないが・・・

静かなのは苦手なんだよ。ごめんなさい(笑)

そんなスーツケースをもって今回の母ちゃんの49日に参加した。

数年前の兄の法事で母ちゃんと一緒にワイワイしたのにな( ノД`)シクシク…

そんなことを思い出しながらボードゲームを楽しんだ。

今回は前回よりもさらに盛り上がってしまった。(不謹慎祭りw)

甥や姪がゲームを理解することができるようになったから。

子供たちが仲良く、悔しそうにゲームをしている姿をきっと

母ちゃんは笑いながら見ている気がする。そんな感覚があった。

目に見えないものはただの誤解なのかもしれないけど。

そう思わせておくれよ。まだまだ寂しいからさ。

亡くなった母ちゃんが笑っててくれないと調子でないものさ。

あれはこうだろっ!母ちゃんなら負けなかったなんて

口を挟んでみていただろうと思う私なのだ(笑)

ボードゲームを買っててよかった。知っててよかった。

心底思った癒しの時間だった。

自宅で料理はしないが実家では料理をするライフスタイル

オシャレなものは作れません。沖縄料理でよく聞くかな?

「ちゃんぷる~料理」が得意。とりあえず野菜を炒めて味付けする。

www.orionbeer.co.jp

私には兄が5人いて、妹が2人いる8人兄妹である。

一度に作る料理の量ったら、切るだけでも時間かかった(笑)

まぁ一緒に全員が食べるって環境ではなく勝手に食べるスタイル。

相手のことを考えず食べたいだけ食べる兄たちを何度”〇ス”と

思ったかは言えない( *´艸`)

大鍋で作って味はとりあえず濃ければ文句言われない。

細かい味付けってのがいまだにわかりません。

だから旦那が作る料理に結婚当初は味をさらに足して食べてた。

めっちゃ旦那怒ってたわ、ウケるw

以前の職場でいらん責任感からアホみたいに残業してました。

だから帰って作って食べる=OMGな時間だったのね・・・。

そんなわけで私より早く帰る旦那が夕飯担当ってのが自然となった。

「ただいまぁー」って帰ってきて椅子に座ったらご飯食べられる。

贅沢っすよね?今でもそれはあんまり変わらないのは旦那が神だからw

そんな私が2022年9月に母を亡くしてから実家で料理を作っている。

母にお供えするご飯を私が作ってあげたいから。

すでに何度か失敗もしているけれど愛情はたっぷりプリン( *´艸`)

あの世でブーブー言いながら食べているかな?

先に亡くなった兄達と仲良く食べているのか?

そんな想像をしながら料理を作っている。

49日までは継続していこうと思っていることの1つ。

まだまだ穴があいててさ。焦ってはないんだけどさ。

それでも少しずつその穴を小さくしようと思っているわけなのよ。

だから自宅では料理しないのに実家では料理をする生活の理由。

料理のスキルというか情報がほんの少しずつ増えている。

久々料理本とかみてるのがなんか笑える。

うまくできたときにはSNSにあげよかな。そんなことも思う。

実家で料理をしながら自分を癒すことができる。

そんなこと想定外だったな。

 

いつもの自分に戻っていくという感覚を意識しはじめている

昔から言葉を欲しがる、言葉からエネルギーを確保してたりする。

それはラジオだったり本だったり映画だったり他者の話だったり。

”あの言葉に救われた”ということがある。名言でもなんでもない言葉たち。

最近言われてた言葉といえば・・・

「ほっておけばイイ。お前はもうこれ以上しなくてイイ」

言われた瞬間ビックリした。その言葉を一番言われたかった人からは

聞かされることはなかった。聞かされていたというか心が感じていた言葉は

「まだ足りない」だったから。不思議なことなんだけどさ。

その言葉を聞いてから自分のことを誇らしくなってきた。

確かに考えてみたら色々頑張ってたなぁ~。今年何してたか分からないもん。

そんな風に受け入れられた。肩の荷がおりたような感じだ。

いくらイイような言葉を言われても全然入ってこないこともあるのに

自分が本当は望んでいた言葉を言われるとこうも染みるものなのか。

ジワジワといまだに私を癒してくれている。

そんな言葉のやり取りが他の人からもあった。

私が心に秘めていてでも口に出してはいけないと思っていた考え。

それをその人はいとも簡単に「〇〇したらいいんだよ」

なんて言ってくれた。ビックリしすぎて少し吹いてしまった。

「〇〇さんにこんなこと言われるとは想定外!」と笑顔で伝えた。

そして勝手に自分で秘めていたことは別にたいしたことではなかった。

そんな風にも思えて苦笑いもしたりした。

”母親を亡くして”なんてフレーズは何年なら有効なのだろうか?

そんなゲスな考えも浮かんでくる。まだまだ心が真っ黒になることある。

アレしたかったな。あの言い方は冷たいと思っただろうな?なんて。

そんなことも思いながらどんどん闇に落ちるというか苦しくなる時もある。

あるんだけど、そんな私を引きずり上げてくれる仲間がいてくれる。

素直にありがたい。無理に元気にならなくていいんだよー!と言われる。

無理しているように見えていたか・・バレバレやん(笑)

そんなんを繰り返して少しずつ前の自分に戻っていく。

いや違うな、前とは違うと思う。この経験をしたからね。

前とは違うけど、私であること。それを継続して普通に元気に

なっていく所存でございます。