手助けをすることで自分に価値があると思っていた節がある
他者をあえて介入させることで自分の人生を救うことになる
助けを求められることがある。お願いごとをされることがよくある。
それはそれだけ自分に価値があると思っていた節がある。
そんなお助けごとをSNSに投稿したら友人からのコメントがあった。
「なんで他の家族がやらないの?」
彼女は私を心配していてくれたのだがその言葉にイラついた自分がいた。
”状況も何も知らないくせに、ほかにできる人がいれば頼っているわ!”
自分のことを否定されたように感じてしまった自分がいる。
彼女にはそんな気持ちは1mmもなかったのに(^▽^;)
得意な事務処理については、基本的に私が処理をする=実家の母のルール。
母からの電話は基本的にはいつもヘルプの依頼だった。
何故私が?と最初のころは思っていたのかもしれない。
それが数をこなすうちに違和感がなくなっていったのだ。
その手助けをすることで自分の時間を奪われることに慣れていた。
だから友達のコメントはただの苛立ちになったのだと思う。
慣れって怖いぜ、自分では気づきにくいぜw
自分は一生懸命やっているのを理解してもらえない悔しさだったかも。
何度かは都合がつかず他の家族に依頼したこともあった。
だが結局うまく処理ができずに・・私が尻拭いをした(二度手間)。
そんな経験から自分で解決したほうが早いとNoを言わなくなった。
「ありがとう。助かった。」なんて言葉も言われなくなるレベル。
ヘルプは私がするのが当たり前にしたのは私自身だった。
私は私自身のことを大切にすることを後回しにしていたのだ。
他の家族は自分のことを優先していたにも関わらず(笑)
そういう気付きを友達や旦那から教えてもらえて本当によかった。
私だけがやる必要はない。他に協力者を仰ぐ。有料でもいいのだ。
そんな工夫を今はやりながら自分の時間も確保している。
他者の介入は嫌だと言われても他にヘルプのしようがないのだ。
相手にも踏ん張ってもらうことが必要なのである。
それを今ならはっきり言える。
手助けをしてなくても私自身には価値がある。
簡単でシンプルなことだけど随分かかったもんだ(笑)
それでもイイ。私は前よりも生きやすくなっている。
確実に人生のレベルアップをしているのを実感する。
これからも継続あるのみ!!