先日限られた親族だけのお葬式に参加しました。
結婚してから数回しか会ってないその方が骨になっていた。
自分自身の家族も亡くした経験があるのでその姿は何度か経験は
あるのだけれども・・それでも毎回泣いてしまう。
肉体がなくなったことがより実感するから。
例えば私が死んで、骨だけの姿で他の数体と並んでいたら
旦那であっても分からないだろう。分からなくても悲しくはない。
私だって彼だと分からないだろうから。体内に金属が入ってたら
ピンとくるタイミングがあるのかもしれないけれど。
箸を順番に渡しながら収骨をすることで、故人が三途の川を渡る手助けをするという意味合いがあるのです。無事に渡ることができるようにと、祈りながら行いましょう。
3人が代表者として、箸わたしという行為を行う。
私の場合は誰にしてもらおう?2名は決まったけどあと1人が決まらない。
その時に生きているかも分からない。パターンをいくつか考えておくか。
死について考えることはけしてネガティブなことじゃないと思う。
あなたは誰に自分の骨を骨壺にいれてもらいたい?
しっかしね、以前の経験で骨が大きいがゆえに蓋がしまらないので
骨をくだくしかなくて・・・。その時、なんか胸が締め付けられたわ。
こなごなにされたらただの粉なのよねと言われてるように感じた。
でもこの経験があったからこそ、散骨も悪くないなと思ったのさ。
いずれみんな骨になる。この肉体は借り物だという人もいる。
だから大事にしてねって。面白い発想だと思う。
シワやシミが嫌だと思っていても、年齢をとる自分の身体も愛したい。
愛されたいものだ。そして愛している人に死んだ後まで気にかけて
もらわなくてイイと心底思う。どうせ死んでいるのだもの私。
私が死んだ翌日に旦那が他の女とチョメチョメしたところで
私はその場にいないし。彼が幸せなほうがいいのである。
だから、私の幸せを願うなら、延命治療はいらないし、
安楽死が許される時代や場所で実行できたら笑顔で見送ってほしい。
兄がなくなる時も、似たような選択があった。
家族は半分に意見がわかれたけど・・誰が決めるのが正解なのか?
決めた人は責任をおしつけられる気がした。死んだあとまで
誰かを苦しめることなんてしたくないんだよ。お墓のお金や仏壇のこととか。
そんなもの気にしないで散骨してもらって綺麗にいなくなりたい。
ただそれだけなのさ。