誰かを助けるにもお金や時間や協力者が必要なことを思い知る
【もっと使えるお金と時間があればいいのに】
ここ数日そんなことばっかり考えてます。
私の母は三姉妹で長女。妹2人はあまりいい結婚をしていなかった。
DVの夫だったり、姑問題が酷かったり。あるあると言えばあるある。
子供がいなければまた違っていたのかもしれないが・・
2人とも子供がいて女一人では生活ができない人だった。
だから母が子供も一緒にまとめて自分の家に住ませて生活した。
あまり裕福ではない家庭に子供が増えたらさらに貧乏になる。
それでも働き者だった母は3つ仕事をこなして養ってくれた。
養育費も最初のうちだけ結局はお金も送られてこなかった。
母自身も暴力夫(私の父)と離婚して大変だったはず。
どんなに想像しても同じことは私にはできない。
そこらへんは凄い人だけど・・・ぶっちゃけ子供としては何度か
母の妹さん達がいなければよかったなんて思ったものだ。
【簡単に助けようとしてはいけないのかもしれない】
母のように自分が苦しくなっても相手のことをしようとする部分は
私のなかにも存在する。それで疲れるのに繰り返すことがある。
血にしみこんでいるというか・・だから他人と関わると安心する。
それが当たり前のことではないことを教えてくれるから。
助けたいけど助けられない。例えばお金があれば貸してあげられる。
時間に余裕があれば、一緒に過ごしてあげられる。
1人よりは多くの協力者がいれば、どうにかそこも幅が広がる。
私には結構前なんだけど過去に助けを求めてきた人がいたのだ。
何回か助けたけれど変わらないその行動とか思考に疲れてしまった。
自分も無理をしていたからなのだと思う。
彼女は、ビルの屋上から飛んだ。私は自分を責めたよ。
もう助けてあげられないからって電話を無視してたから。
冷たい酷いやつだと思っている。現実にそんなことが起こるなんて
想定を超えていた。そんなことは起こるんだよね・・ほんと。
【現在進行形で今もとある人を助け中なのである】
記録のような私のブログ。大体吐き出し用だ。
現在進行形である人を手助け中。今回もなかなか衝撃的な人生話。
どこまで出来るか分からないけど協力者とともに出来ることをやる。
彼女は自宅で一人死ぬ可能性もあったことを病院できかされる。
危なかった。二度目の悲しい経験をするとこだった。
数年後にこの記事を見て彼女がどうなっていったのか思い出すに違いない。
まだ手助けは始まったばかり。彼女が少しでも元気に過ごせるような
ベストな対応をみなで考えていこうと思う。
彼女にもっと幸せになってほしいなんてエゴなのかもしれないけど。
ほんとにそう思う今日この頃。