パパと離れるとは思わなかった女児と出会って1年経って思うこと
2021年12月に県外から沖縄へきてもらうように大嘘をついた。
そうしなきゃこの母と娘を自宅から引き離すことが難しかったから。
このご時世に母親は携帯を持つことを許されていなかった。
「姉に電話したくても旦那さんに連絡するしかなくて
常にスピーカーだから大事な話ができなかった!」と妹さんが教えてくれた。
だから沖縄へ到着するまで彼女とのやり取りは一方通行。
不安になりながら空港へ迎えに行き二人の姿を見た瞬間、涙が出た。
私よりも若い彼女は足をひきずって歩いて呼吸も浅い。
体の状態が悪い母親を病院に連れて行ったら即入院となった。
「緊急の対応も覚悟してください」と医者は言った。
もっと早く呼び戻しておけばと神様に祈った。
もっと遅ければ、彼女と会うのは冷たくなっていた姿だったかもしれない。
命をとりとめ、そこから母親は3週間あまり入院を余儀なくされる。
当時5歳だった女の子は母親が急にいなくなって誰よりも不安だったと思う。
あらゆる頼れる場所にアドバイスを受けて資料を提出したりバタバタ。
「いつ家に帰れるの?パパに会えるの?」
彼女のこの言葉になんて答えていただろうか・・あまり覚えていない。
両親もいない、知らないアパートで過ごして大泣きしたりおねしょしたり。
ストレスを抱えても仕方ない環境にしてしまったことを悔やんだ。
母親が退院したと思ったら1カ月たたないうちに再入院。その後も繰り返し。
この生活をいつまで続けられるだろうか?途方にくれたりもした。
「沖縄に住むのは嫌だ」「パパのところに戻って3人で暮らしたい」
そうに違いない。小さな彼女が知らないパパの悪事を全部言いたくなる。
でも彼女にとってはパパなのだ。その葛藤がとても苦しい時期だった。
1年過ごしてみて育児を疑似体験して大変だと本当に思い知らされる。
母親の状態が今は安定しているので前のように全てに関わっている
わけではないことは幸せなことだ。彼女にとっても母親にとっても。
先日のとある会話
アリボー:「昨日の夕飯何食べたかもわからない人はブーさんになるよ!」
そんな嫌味を言った私も大人げない(^▽^;)・・・
6歳女児:「アリボーおばさんが色々なものあげるからでしょー!」
素晴らしい返しをされた(笑)うんうん、強くおなり!違うか?w
いつまで傍にいれるか分からない。
私がいなくてどこかのサポートを受けるような情報
母親にもきちんと伝えておかなきゃ。
助けてもらうことはけして恥ずかしいことじゃない。
でもできることはやることも大切なこと。
バランスをもってこの親子の幸せが続くといいなぁ☆
いつか彼女が大きくなった時に私を覚えててくれたら嬉しいけど
忘れてもいいよ。彼女が幸せならそれでイイ。
正解なんて分からない。自分のことだって分からないし。
今できること、やりたいと思うことはやっていきたいと思う。
そんな1年後の今の心境だ。