人生”レベル上げ”という生き方~アリボーの冒険~

人生好きなモノや人やコトを大事にしながら人生のレベル上げをコツコツとやっているのさ

あなたの実家があり続けることは残念だけど約束されてない

悲しいと感じるのかそうでないのか・・・

実家があることは特別とも思っていなかった。

育ってきた場所。イイ思い出も悪い思い出も沢山。

「実家に帰らせていただきます!」なんてセリフ・・

実家があれば言えるんだよね。

旦那にたまにジョークで「実家に帰れ」と言われるけれど

全力で「実家には帰りません」というやり取りをしてます(笑)

私の実家はまだ存在しているが行きたい場所ではもうない。

母がそこにいたから行く用事があった。それだけ。

”冷たい娘だ”とよく言われたもんだ(*'ω'*)

みなはどんなタイミングで実家に帰りたくなるのだろうか?

実家を管理している(両親健在なら基本問題なし)

その人によって実家の存在は変わってくる。

うちはまだ遺産相続もきちんと協議していない。

(私は相続破棄したから部外者)

そんな実家に住んでいる数名がいてその人たちが結局は権利を主張する!

なんであんたが決めるわけ?喉でストップしたけど腹たったな。

誰に譲り渡すのか、それによって実家は実家ではなくなる。

だって住んでいる人がウェルカムってしてくれないのだもの。

あぁーメンドクサイ(^▽^;)実家に寄りたいが寄れない親族がいる。

想定外である(笑)でもそこには今までの関係性ももちろんある。

母ちゃんだったからあのウェルカム感、いや、強制的なオーラ(笑)

あれはあれで母のなせるスキルが発動されいた。

母のいる実家と母のいなくなった実家は別物なのである。

あなたは実家が好きですか?何故行くのですか?

何故いかないのですか?当たり前すぎてってあるけどさ。

その当たり前はけして当たり前じゃなくなる時がくる。

ちょっと寂しく感じるんだよ。

同じ場所にあるはずの建物は、ある時点から変わってしまう。

雰囲気も含めて。実家ってなんだろうね?

なければよかったのに・・・母が亡くなってから思った感情の1つ。

そして嫁として旦那の実家はどんな形になるのか

夫婦で話をしなきゃと思ったりするのである。

子供のいない夫婦はどうしているのだろうか?現実は厳しい。

でも話をしたいテーマなのである。

読まれている皆さんも是非考えてみてね。

歌を聞くのも好きだし、歌うのも好きなのだ

楽器は弾けないけれど歌を歌うのが好きだ。

昔から変わらず。だからと言って歌手になりたいとかはない。

皆で歌うのが好きなのかもしれない・・・。

曲で救われた経験がある人と繋がりたいみたいな感覚。

それなのに小心者だから人前で歌うことにすごく緊張する。

昔よりは大分改善されてきたけどね。

ここ数年、お友達の影響でスナックとかバーに行くのが増えた。

夜の遊び方というか、45歳になった今でも知らないことが多い。

だから一人でふらっと入るとかは基本ない(笑)

酒を飲むだけもいいのだけれど酒を飲むとより歌いたくなる。

気分があがっているんだろうね( *´艸`)

なのに酔って音程が酷いと落ち込むとか歌わなきゃよかったとか・・

ちょと待って私って痛い人?いやメンドイ人?

これからもどうぞよろしくお願いします(;^ω^)

でもさ、あーこの曲歌うんだ~とか選曲見ながら、歌っている姿とか

見ながら話ししたくなるわけよ。

ちょっと、待って、えっ?絡み酒?えっ?

これからも、どうぞよろしくお願いします・・・。

いやぁ~歌うってのは本当に気持ちがイイ。

そして歌っているのを聞くのもとても楽しいものだ。

音程とかそんなん割とどうでもイイ。

個性がある歌い方とかも大好きだ。

モノマネ風の歌い方も大好きだ。

とりあえず、好きだ(ウザッ)

カラオケ好きなかた、マウント取らない方、

聞くのも好きだよってかた、お友達なろうね('ω')ノ

いやさ、自分の歌うたったからって他の人の曲が入っているのに

帰ってしまわれた方がいて歌好きにも色々いるんだなって思ったの。

ただそれだけのための記事。

家族のなかでは海外へ行った回数が断トツに多い

海外に行きたい今日この頃。なんだろう・・逃げたいのか私?(笑)

亡くなった母と2回韓国旅行に行った。

1回目は母の肝臓手術前。

母は「もう旅行できないかもしれないから・・・」

そんな風に私を軽く脅した( *´艸`)さすがやろ、うちの母。

ほとんど韓国ドラマに出てきた場所へ行きまくり。

いやぁ~1回目の韓国旅は本当に下手だった(笑)

移動距離だけで時間をつぶしたようなものだ。

まぁ、それがあったから2回目は楽しめたと思えば経験は大事だ。

2度目の韓国は中学生の甥を連れて6名ほどだったような記憶。

金がなかったので今回は行けないと母に告げた。

「金は出す」そう言われたので行きました(笑)

もちろん全額じゃないけど非常に格安で韓国を楽しんだのは間違いない。

初めて海外に行ったのは、2度目の高校生をやっていたころ。

(1度目は志望校に行けず途中で家出とか・・・もごもご)

商業や工業高校等に通っている生徒対象でアジアの工場見学!!

とかなんとかでタイとシンガポールに行った記憶。

現地で住人と間違えられる。男性トイレに入ろうとしてとめられる。

沖縄人らしいのは顔だけで、三線も空手も舞踊も何もできず

凹んだ旅行だったりもしたな。これまたイイ経験だ。

でもカタコトの英語で会話ができたのは自信につながった。

大学1年の時には、カリフォルニアに1カ月だけ語学留学に行った。

高3年に地元で初めて行われたスピーチコンテストで優勝した副賞だった。

母から持たされたお金は少額で皆がアクティビティやら楽しんでいるのを

羨ましく思っていたことが多かった気がする。お金があったらもっと

楽しめたのに・・。”ないものねだり”。海外に来ていることへの感謝は

どこへおいてきたのだろうか(^▽^;)台湾、ポルトガル、韓国、中国。

そんな同級生ができたけど、今何やってんだか?

県外の日本人留学生も似たりよったり。今会ったところできっと分からない。

そもそも個人情報を知ってもいない。あの1カ月だけの友達。

中国語の先生と台湾に行ったのも最高だった。

別でもう1回行った記憶があるが・・あんまり覚えていない。

途中で合流だったのかもしれない・・なんて思う。

記憶ってのはあいまいだ。でも台湾を知っている人が一緒にいるだけで

効率よく美味しいものや時間を遣えたことだけは鮮明に覚えている。

旅には重要なことかも。まぁドキドキ感は減るけどさ。

社会人になってこれまた会社の特別枠でハワイにも行った。

沖縄に似ているから別に感動しないだろう?なんて思ってたけど・・

規模が違うよね(笑)十分感動しました(*'ω'*)でもまた行きたい国という

ランキングには私の場合はない。そこはやはり沖縄人だからなのかもしれない。

あとはネットで知り合った人に初めて会うという行動(危険だからマネNG)

ケンタッキー州に行きました。今考えても生きて帰ってこれてよかった(笑)

チケットの手配もその人が全部やってくれたけど一人でたどり着けるか。

めちゃくそ不安だったの覚えている。

アメリカ=2回。韓国=2回。台湾=1回(多分)

タイ=1回。シンガポール=1回。ハワイ=1回。

実家ファミリーのなかでは断トツ多い。

今の目標は旦那と海外旅行。ひとまず近場からせめる予定。

そのためにも働きます!

 

#今週のお題「行きたい国・行った国」

めんどくさいことばかりなんだけれど『つながり』も悪くない

3か月前に体験したボードゲーム『コミュニティコーピング』('ω')ノ

(※人と地域資源 つなげることで社会的孤立をなくす協力型ゲーム)
私!認定ファシリテータになりました( *´艸`)
だってこのボードゲームだけ単独で販売ないって言うんだもん!!
悔しいじゃないのさぁ(笑)そんなキッカケで色々活動している現在♪

arivo.hatenablog.com

1人でできることは限られている。なんて言葉を耳にしていたけど・・・。

私がやりたいことの範囲は特に1人でできることですから別に〜。

なんて思って生きてました。だけれど、ここ数年の色々な出来事。

1人でできない苦しさ、いっぱい、いっぱいになった日も沢山。

周りの方が「なんであんたばっかり苦労してんの?」というアドバイス

気づけない部分と、受け入れることができたことで、依頼すること。

「できない」と言えることが増えてきました。

このゲームでも1人では解決ができなくてチームで協力することが

いかに大切かとか、対話することで効率よく対処できたりすることを

学べることがとても楽しい。

福祉の仕事についても興味があったけれどその職種というかサポートする

仕事の範囲が様々あることさえ知らなかった。

そんなことも気づけて勉強になっている部分もある。

全く関係のないジャンルで働いている私でも福祉とか関わることができる。

何かきっかけとか、行動変容とかに繋がる可能性が生まれる。

ワクワクドキドキしながら認定ファシリテータでレベル上げしている最中☆

「つながる」ことは難しい、めんどくさいと思うこともあるんだけど

そこは距離感とか自分の言葉でお伝えしながらバランスとっていこうと思う。

いろんな場所で体験会がある、オンラインもあるので是非。

少しでも興味あったら問い合わせしてくださいませ。

沖縄なら是非私へ('ω')ノ  

 

comcop.jp

 

パパと離れるとは思わなかった女児と出会って1年経って思うこと

2021年12月に県外から沖縄へきてもらうように大嘘をついた。

そうしなきゃこの母と娘を自宅から引き離すことが難しかったから。

このご時世に母親は携帯を持つことを許されていなかった。

「姉に電話したくても旦那さんに連絡するしかなくて

常にスピーカーだから大事な話ができなかった!」と妹さんが教えてくれた。

だから沖縄へ到着するまで彼女とのやり取りは一方通行。

不安になりながら空港へ迎えに行き二人の姿を見た瞬間、涙が出た。

私よりも若い彼女は足をひきずって歩いて呼吸も浅い。

体の状態が悪い母親を病院に連れて行ったら即入院となった。

「緊急の対応も覚悟してください」と医者は言った。

もっと早く呼び戻しておけばと神様に祈った。

もっと遅ければ、彼女と会うのは冷たくなっていた姿だったかもしれない。

命をとりとめ、そこから母親は3週間あまり入院を余儀なくされる。

当時5歳だった女の子は母親が急にいなくなって誰よりも不安だったと思う。
あらゆる頼れる場所にアドバイスを受けて資料を提出したりバタバタ。

「いつ家に帰れるの?パパに会えるの?」

彼女のこの言葉になんて答えていただろうか・・あまり覚えていない。

両親もいない、知らないアパートで過ごして大泣きしたりおねしょしたり。

ストレスを抱えても仕方ない環境にしてしまったことを悔やんだ。

母親が退院したと思ったら1カ月たたないうちに再入院。その後も繰り返し。

この生活をいつまで続けられるだろうか?途方にくれたりもした。

「沖縄に住むのは嫌だ」「パパのところに戻って3人で暮らしたい」

そうに違いない。小さな彼女が知らないパパの悪事を全部言いたくなる。

でも彼女にとってはパパなのだ。その葛藤がとても苦しい時期だった。

1年過ごしてみて育児を疑似体験して大変だと本当に思い知らされる。

母親の状態が今は安定しているので前のように全てに関わっている

わけではないことは幸せなことだ。彼女にとっても母親にとっても。

先日のとある会話

アリボー:「昨日の夕飯何食べたかもわからない人はブーさんになるよ!」

そんな嫌味を言った私も大人げない(^▽^;)・・・

6歳女児:「アリボーおばさんが色々なものあげるからでしょー!」

素晴らしい返しをされた(笑)うんうん、強くおなり!違うか?w

いつまで傍にいれるか分からない。

私がいなくてどこかのサポートを受けるような情報

母親にもきちんと伝えておかなきゃ。

助けてもらうことはけして恥ずかしいことじゃない。

でもできることはやることも大切なこと。

バランスをもってこの親子の幸せが続くといいなぁ☆

いつか彼女が大きくなった時に私を覚えててくれたら嬉しいけど

忘れてもいいよ。彼女が幸せならそれでイイ。

正解なんて分からない。自分のことだって分からないし。

今できること、やりたいと思うことはやっていきたいと思う。

そんな1年後の今の心境だ。

初耳の”墓友達”というワードにワクワクしちゃった

【3週間前に面会したお姉さん的存在が空へ】

訃報が多くなって少し嫌になってしまう。

彼女の死の翌日には同級生のお父さんが亡くなった。

そんな年齢になったのだと言われたらそれで終わりだけど。

死に触れることに慣れるという感覚にはなりたくないと思う。

53歳でこの世を去ったMさん。長生きしたくない私でもその年齢は

あちらへいくのは早すぎます、早いですよ!

ガンの闘病をして約5年経つ頃だったらしい。

親族の方からは「本当によく頑張っていた」と褒める言葉が沢山。

私の母が亡くなった時に、自分の体も辛い中、酸素つけて会いに

きてくれて話を色々きかせてくれた。私はあの時本当に楽になった。

ありがたかった。

独り身の彼女が亡くなって仏壇は?お墓は?

亡くなってからが本当に案外忙しい。

母の時に悲しむ前にそこに時間がとられた日々だった。

彼女の親族に確認したらすでに生前契約で永代供養など

段取りがほぼ終わっていたそうです。

性格が出ているというか、アッパレだというのか。

最後の最後まですごい人だと思わせてくれた人でした。

こういうスタイルのお墓を目にすることは今回が初めて。

場所によっても契約や条件は変わると思うが新時代を感じた。

『墓友達』そんな聞きなれない言葉を初七日で耳にした。

お友達同士など、古いしきたりなどにとらわれない形で

契約する人も多くいるそうだ。親族のお墓に入れてもらえない。

そんな話も聞いたことがあったのでよりどころがあることは

素晴らしいことだと思った。

私=具志堅夫婦に子供はいない。仏壇やお墓を持ったところで

その後をみていってくれる存在がいないといことは厳しい。

子供がいてもその子供がみてくれるとも限らない。

キーパーソンが亡くなってバラバラになる家族もいる。

荒れているお墓をみては切なくなったこともある。

供養の形は色々あるし変遷していくものだ。

亡くなった後にウダウダ言って化けて出る暇もないと思う。

あちらの世界でも楽しみたいから(笑)

旦那とも話をしなきゃいけない年頃だ。

今回悲しいことはあったけれどまた墓友達という学びへと繋げてくれた。

Mさんありがとう。3か月もご飯が食べられなかったなんて

私なら辛くてきっと弱音を吐きます。

全然つらい顔をしなかったMさんはすごいです。

でも頑張った分あちらではもっと自由に、ワガママに楽しんでください。

そう願っています。いずれ私もそちらへ行きますので。

あちらの過ごし方を教えてくれたら助かります。

 

気がついて反省して頑張るけどまた忘れるの繰り返し

なんでこんなに焦って生きているのだろうと思い知らされる

life-is-fruity.com

『人生フルーツ』

この映画を初めて見たときも思った。

そう思ったのに私はまた日々に追われていた。

「効率」ばかりを意識してイライラが募ることが多くなった。

・もっと効率よくできないの?

・〇〇だと知っていたらあの時に行けたのに

・なんで今のタイミングなの?

・それって効率ですか?

バカヤロウ!なんて目くじら立てる必要もなかったのに・・・。

怒っては反省したりしてさ。そんな風にも思うのにまた同じことを繰り返してしまう。

そんなんが歯がゆくて、自分が嫌になったり、情けなくなったり。

ぬおぉおおーーーって感じやな。伝われ(笑)

でもトータルで進んでる自分がいることもまた事実。

そうね、もっと進みたいし、もっとなりたい自分になっておきたい。

だけれど焦って、イライラして、自己嫌悪に落ちて過ごす。

それってなんかさ、その後に死んだら嫌だと思ったんだよな。

私の人生わりと悪くなかったな。歯痒いながらも楽しいこともしながら

勉強もしながら穏やかに過ごしてきた。笑える時間が持てた。

2回目の人生フルーツを見ながら感じたこと。

色々なものに踊らされてるな、かっこ悪いなって思わせてくれて

ありがとうございます。